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哲学辞典 (た〜と)
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ダイヤローグ と ディベート

ソクラテスは、すでにこれを、「真実を知るために行われる議論」と「相手を言い負かすために行われる議論」と、はっきり区別しています。
(池田晶子・暮らしの哲学・新潮社)
 



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知性

 地平

およそ何かを判断するときには、一定の知識や価値に頼らざるをえない。そのような判断や価値付けの拠り所となるものをガダマーは「地平」と呼ぶ。
「地平」とは地平線や水平線の内側、自分が立っている足下のことだ。
肝心なことは、自分の足下にある地平を通常、ひとは意識しないということである

(哲学ワンダーランド・貫成人・php研究所)

超人

力への意志の完成された主体性こそが、(超人)の本質的必然性にとっての形而上学的根源である。
(ニーチエV・白水社・マルチン・ハイデガー・訳、解説・薗田宗人

力への意思

意欲:あるものに向かっての努力。
力:勢威の行使。
力への意思とは、明白に勢威行使の可能性を求める努力、力所有への努力である。
力への意思は、さらに「ある欠乏の感情」を表現している。
力への意思とは、まさに一存在者としての存在者が有する根本的性格である。それゆえ力への意思の本質は、ただ存在者そのものへの注視においてのみ、すなわち形而上学的にのみ問いかけられ思惟されうる。
(ニーチエV・白水社・マルチン・ハイデガー・訳、解説・薗田宗人)

直感

直感に従って行動しなさい。

大きな物事についての真意に対して直感を高めるひとつの方法は、小さな物事に対して、あなたがいま感じている直感の力を完全に信じることです。全治全能の存在からみれば、大きなことも小さなことも変わりはありません。
 (「思い」と「実現」の法則・ウオレス・D・ワトルズ・イースト・プレス

知恵

自分の能力を正しい方法で使うことができる資質こそが、人間を偉大にします。
その資質を、私たちは「知恵」と呼んでいます。
知恵は最高の目的を掲げ、そこへ到達するための最適な手段を知るための力です。
知恵は知識に依存しています。
知恵とは、大いなる心を読みとることによって手にいれることができるのです。真理というものは、そもそもそこに存在しなければ見抜くことはできません。また、それを見抜く心がなければ存在しえないのです。

(「思い」と「実あまざま現」の法則・ウオレス・D・ワトルズ・イーストプレス社)


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「つ」で始まる用語はありません。


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哲学
「哲学が終わりを迎えるこの地点で、経験する哲学を始めることができる。自分自身の視点と人生の立場から、誰もが一度は哲学しなければならない。書物の正しさの証明は日々の 生活
の中でなされる。(ド・ローゼンツヴアイク)」
哲学の歴史・哲学と哲学史・書物が私を作った・合田真人)

 



哲学

カントの勧めるとおり、名詞としてのフィロソフィでなくて、動詞としてのフィロソフィーレンが

その生命であり、根源なのである。

講壇的概念の哲学のみが、哲学の名を占有するようになって、すでに久しい。

・・・・宗教、倫理、感性というようなものを概括して呼ぶものとして、「哲学」の代わりに、

「思想」の語が用いられるのである。
(三枝充悳著・比較思想序論・春秋社)

哲学

ギリシャ語の{philos(愛)=sophia(知)}の訳語であるが、明治の知識人が「愛知」でなく「哲学」(哲とは「明らかに語る」という意味)を選んだ意味は、わからないこともない。かれらが<philosophia>にまず期待したのは、国家の中枢を担う若者たちに必要な「洋才」であり、とすると、ヨーロッパで当時講壇哲学を牛耳っていた新カント派こそそれにふさわしいものであった。この学問に限定するかぎり<philosophia>とは、根源的な学問としての「哲学」なのである。
(哲学者というならず者がいる・中島義道・新潮社)

哲学

あるいは、多様な考え方のアーカイブ、貯蔵庫が哲学とも言える。
哲学をふまえると、昨日までとは違った仕方で周りの世界が見えてくる。
ひとが生きているうちに直面するさまざまな問題について考えてきたのが哲学というものだ。
哲学という回路、道具を用いることによって、多様な世界観が開かれる

哲学が「わからない」というとき、その理由はさまざまである。・・・そうしたすべてがわかつたとしても、「だからどうなのか」がわからない、ということだろう。すなわち、現実との接点である
(哲学ワンダーランド・貫成人・php研究所)

哲学は「自分で考えるもの」、思想は「取って付けるもの」。
あるいは、考える行為そのものを「哲学」と言い、考えた結果、表現された言葉の側を「思想」と言ってもいいかもしれない
哲学は意見では断じてない。
意見と言うものは個人的なものですが、哲学は普遍的なものだ。なぜ普遍的と言えるかと言えるかというと、いかなる前提も信じていない。何であるかを知るために、あらゆる前提を疑い抜くからです。
(池田晶子・暮らしの哲学・新潮社)

 哲学への衝動

いかなる衝動もすべて支配欲に満ちている。そしてかかる衝動たるままに、すべての衝動が哲学するのである。」(善悪の彼岸・ニーチェ)
「結局個人的な食餌を求める本能、それが哲学ではないか。それは私の太陽、私の高み、私の臭覚、私の健康へ向かって頭脳の回り道をしていこうと努める本能ではないか」(曙光・ニーチエ)
(ニーチェ・・白水社・解説ニーチェとハイデガー・広田宗人)

哲学ー反哲学

わたしは「哲学」を勉強し、大学でも「哲学」を教えてきたわけすが、以前から自分のやっている思考作業は、「西洋」という文化圏で伝統的に「哲学」と呼ばれてきたものの考え方とは、決定的に違うところがあると思っていました。「哲学」というのは、やはり西洋という文化圏に特有の不自然なものの考え方だと思うからです。
ですから、自分のやっていることは、強いて言えば、そうした「哲学」を批判し、そうしたものの考え方を乗り越えようとする作業ではないかと思い、それを「反哲学」と呼ぶようになりました。
(反哲学入門・木田 元・新潮社)

デカルト
 

方法序説」「省察
まず肝心のテキストをちゃんと読む。デカルトはどういうモチーフで、何を言おうとして書いているのか、そこをちゃんと読もう、そこさえ読めればいいのだ。
よみがえれ、哲学・竹田青嗣。日本放送出版協会)


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トポロジー

トポロジーの期限は17世紀の数学者ニュートンによる「微分積分」の発見に求められる。
彼は重力のような「力」が物体に働くとき、物体の速度が一定にんさらないことに気づき、そして「時々刻々と速度が変わる運動」を表現する必要が生じた。言い換えるなら、どの「瞬間」にも別の値をもつような」速度」を定義する必要に直面したわけだ。無理やりに「瞬間」の速度を計算しようとすると、致命的な事態に陥る。「瞬間」においては移動距離も「移動時間」もゼロだから、速度の計算はゼロ÷ゼロという数学の禁じ手に抵触することになってしまうのだ。

道元の思想

前期 十二巻本より前  「仏性顕在論」によって「仏性内在論」を批判。「一切諸法・万象森羅、とものこれただ一心にして」 「寂滅を談ずる門には、諸法みな寂滅なり。性と相とをわくことなし」弁道話 「仏性顕在論」 悉有は仏性なり 「万法 「坐禅は諸法を悟らせ、その諸法は人を悟らせる」 「無情説法」 「身心脱落」 知見思量の否定「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
 後期 十二巻本「正法眼蔵」を中心とする縁起説 「宝慶記」利他を先とする坐禅を説く
深信因果という見解の基づき、一切衆生を度さんとする、大悲を先とする「誓度一切衆生之坐禅」を説くものである。
道元の坐禅観は神秘的坐禅観から知的坐禅観に変わった。

(松本史朗・道元思想論・大蔵出版)

 

 

 

トクビル(1805−1859)
 政治思想家・哲学者

 新しい社会の本質
 「デモクラシー」      
 自由なデモクラシーの実現
 平等が自然な時代にあっては、不平等を要求するのに特別な理由が要求される。
 アメリカ人の思考法はデモクラシー社会に生きる典型的なものである。
 自分自身の力で且つ自分自身の中にのみ事物の理由を求め、手段に拘泥せずに、結果に向
 かい、形式を超えて根底を目指す。
 自分と同じようなある特定の個人が自分に対して支配的権力を行使することには極めて敏感
 に反応し、これを拒絶しようとする。半面で、非人格化した集団的権力による支配に大しては
 むしろ容易に隷従する。、
 [諸条件の平等」によって衝き動かされるデモキュラシー社会において、デモクラシーを自由な
 ものとできるかどうかは、人民の政治的叡智と実践にかかつている。
(哲学の歴史8・社会の哲学・中央公論社・宇野重規)

トラウマ

フロイト=その人固有のトラウマやナルシズムが「失敗の繰り返し」を招く
トラウマとは
成長過程におけるなんらかの心の傷がのちのちまで影響を及ぼすことだ。メルローポンティによれば、何らかの企図を達成しようとして果たせなかった不達成感がトラウマであり、その結果、同じ企図を何度でも繰り返すことになる。
病理としてのナルシズムは、現実とは異なるけれども、こうあって欲しい理想の自分(「理想自我」)を想定し、自分があたかもそのような存在であるかのごとく錯覚してしまう状態を指す

(哲学ワンダーランド・貫成人・php研究所)

独創性オリジナリティ

解説や論文の独創性は筆者の視点の独創性。
(音楽の文章セミナー・久保田恵一・音楽之友社)

 

トマス・アクィナス(1225年ー1274年)
 

神学大全

「神論」、「人間論」、「キリスト論」の3部からなる。
「神論」:神の存在について
     
動かずに動かすものとして、が存在しなければならない。
     原因と結果の第一原因としてが存在しなければならない。
     事物の存在の必然性の根源としてが存在しなければならない。
     事物の完全性の根源としてが存在しなければならない。
     事物を目的に向かって秩序ずける理性的存在者(神)が存在しなければならない。
人間論  倫理学の問題
     信仰、希望、愛などの徳が知恵、正義、勇気、節制などの徳のうえに位置づけられる。
キリスト論
     キリストの受難と復活が記述され、告解の途中でおわっている。

トマス・アキナス 哲学は進学に奉仕すべきもの



道元 

波もひき風もつたはぬ捨て小舟月こそ夜半のさかひなりけり

濁りなき心の水にすむ月は波もくだけて光とぞなる

夜坐、更闌けて眠り未だ至らず。いよいよ知る辨道は山林なるべし。渓声耳に入り月は眼を穿つ。このほかさらに一念の心なし。

同罪の仲間

問題になっているケースが唯一無二というわけでないと論証すること。整合性の要求
(思考の道具箱・クリティカル・シンキング入門・ナイジェル・ウオーバートン・坂本知宏訳・晃洋書房) 

 


 
 
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