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バートアンドラッセルとハイデガー ラッセルが非常にクリアでわかりやすいのに対し、ハイデガーは難解。私自身は二人を警戒しています。ラッセルは馬鹿なことを言っているとはっきりわかる。ハイデガーの場合は、わかりきったことを言っているのに、我々はそれに気付けなかったりする。歴史にのこり長持ちするためには難解でなければいけない。 ハイデガー ハイデガーの思索の筋道を早くから決定していたのは、「有」と「言葉」であったことは、ハイデガー自身認めているが、それだからこそ逆に、両者の論及は背後にとどまってしまった。「有」については「有と時」を1927年に発表しているが、ハイデガー自身、「この書物の欠陥は余りにも早く遠くまで行き過ぎてしまったこと」と認めている。「言葉」については、ヘルダーリンの詩の解明や論理学の講義、ロゴスの論及など、言葉の問題が中核となった思索が行われてきたが、「言葉」の表題を正面に掲げた本書(言葉への途上)をまとめたのは時期的にはずっと後の1959年で、「有と時」を発表してから三十年以上も経ってからのことである。 パースペクティヴィズム 過去を美化する言説は、ある時点からの眺望を普遍化する「眺望固定病」である
通念に反する。ギリシャ語 般若心経 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧莎訶
[チベットの『般若心経』 石濱裕美子訳
(チベット学への招待HPより 石浜祐美子)より 般若 ブラジュニャーの音訳。「真実智」「根本智」人間の分析的な知恵とは違う。 1.「パーラミター」の音訳。パーラム(彼岸に)+イタ(至れる) 観自在 アヴァローキテシュバァラを、「観」(アヴァローキタ)+「自在」(イーシュヴァラ)の合成語と見る。「観自在」と訳出し知恵を強調。 観 勧:人から勧められる。勧めることが絶対に重要。 ボーディサッタ(菩薩)菩薩のような人と菩薩とは違う。 真実 「もはやそれ以上何者にも還元され得ない一つの本源的な事象」「沈黙」「愛」「真心」「死」(マックス・ピカート)。死の重さで計られるようなものが真実である。「さまよえるオランダ人」 般若波羅蜜多 「般若波羅蜜多」とは、ずばり瞑想を意味しているのだ」パグワン。大悟した禅者は、師のもとへ赴いて「見解」を呈するが、それはおおむね詩のごときものである。大悟の非体験性、非論理性がよく現れている。それが「さとり」である。そういうものが「瞑想」であり、そういうものが「深般若波羅蜜多」であり、そういうものが「真実」である。真実というものは突如としてくる。一瞬のうちにやってきて、私とひとつになってしまう。その一瞬は「今」というものだろう。一瞬一瞬に永遠を感じ無限を感じるのだ。 行時 行を行じつつある時に(チャリヤーム・チャラマーノ)「行行」慈雲尊者。行を行ずる。 盤山 心月孤円 光呑万象 光非照境 境亦非存 発生論的誤謬 信念の由来が信頼性に乏しいからといって、正当性を欠いているとみなすみなす十分な理由にならない。由来と正当化の間に必然的な繫がりははない。 背理法 「君がXと信じるなら、Yと言うことを信じざるを得ないわけだ。でもYは馬鹿げている。 |
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批判 われわれの客観的な推測知は、いつでも一人の人間が修得できるところをはるかに超えでている。それゆえ、いかなる権威も存在しない。このことは、専門領域の範囲の内部においてもあてはまる、誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする。(またかれらはわれわれを必要とする)ということ、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚さらねばならない。ポパー 百亳 びゃくごう 眉間から光が出る。 比較思想 比較思想研究は、二つないし複数のものについて、相違・異質を根源としつつしかも類似 プラトン著 すべの人間にとって人生を幸福にするものは、富や健康や名声のような外的な善ではなくて、その人間の心のありようであり、快を味わっている状態がそれなのか、考え慮る状態がそれなのか。
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仏教 仏教塾 東京国際仏教塾のサイト、講義録等が読める
フィロゾフィーレン 或るもの・こと---それは非常にヴァエティに富むーーに関し、それぞれのひとの能力・ フロイト(Freud) フロイトの「無意識」 プラトン(前427年-前347年)
プラトン 人間がほんとうに考えるべき問題は、「真、善、美」の問題。つまり「何がほんとうか、何がよいことか」という魂の問題である。そのためにプラトンが使ったのが、「対話術」という方法と「イデア」説である。 「一者」(ト・ヘン)は至るところにあるが、しかもどこにもないものだ。なぜ一者は「至るところにある(パンタ・ヒュウ)のみならず、なおまた、「どこにもない」(ウダム)のであるか。一者は万物以前に存しなければならないからである。書というものはこのト・ヘンを書くほかなかろう。(山本空外)。 仏教の本 岩本裕「日本仏教語辞典」 「狂気と歴史」『監獄の誕生」「言葉と物」「知の考古学」 |
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ヘーゲル ヘーゲルで完成している哲学はない。 ヘーゲル ヨーロッパ近代哲学の完成者 「人間はどうしたら自由になれるか」「歴史が進展していくことで人間は必ず自由になれる」
(知識ゼロからの哲学入門・竹田青嗣・現象学研究会・幻灯社) 変性意識状態 人間は元来、日常と非日常を往復することによって心のバランスを保っている存在であり、非日常性と深くかかわっている変性意識を理解することは、個人主義の桎梏に苦しんでいる現在の人間にとって、きわめて重要なことだと私は考えています。 弁道話 自受用三昧
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翻訳 「翻訳すること」とは、ある言語を別の言語に移し換えること、外国語を母国語へ、もしくはまたその逆に移し換えることだと言われている。私たちはまた、たえずすでに、私たち自身の言語、母国語を、その母国語自身の語へ翻訳しているのである。あらゆる対話と独白には、一種の根源的な翻訳がはたらいているのである。
本質と偶有性 本質とは、ものをそのものたらしめている何か。ものの本質を定式化すれば、そのものを定義したことになる。 本 「レビナス 無起源からの思考 」講談社メチエ |
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