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斉藤磯雄 原詩 フランス詩人 ヴアルモオル夫人 斉藤磯雄訳 西行法師(平安後期ー鎌倉初期の歌人) こころなき 身にも哀れは しられけり しぎたつ沢の 秋の夕暮れ なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 我が涙かな 津の国の難波の春は夢なれやあしの枯葉に風わたるなり 讃岐(二条院讃岐平安後期ー鎌倉初期の歌人) 散りかかる もみじの色は ふかけれど わたればにごる 山河の水 世にふるは くるしき物を 真木の屋に やすくもすぐる 初時雨かな 相模(平安中期歌人) うらみわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなん 名こそをしけれ いかにせん 葛のうらふく 秋風に 下葉の露の かくれなき身を |
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三単一の法則 ポワローが「詩学」の中で定義しているように、劇は同じ場所で一日の中に行われた出来事.とを最後まで扱わねばならぬという、場と時と出来事の三つの単位の一致をとく古典主義の演劇理論。 サント・プーブは、ある深い思想に結びついている作家と、作品において「単に修辞学だけの関心に」没している作家とを区別するのを仕事としたおそらく最初の批評家であろう、いうまでもなく、前者は大なり小なりにすぐれたものでありうるが、後者は嫌悪すべきものだということになる。 作者 しかしながら、作者というものはわれわれの手をのがれて作品の背後に姿をかくしているものであり、人間は作者というものの背後に姿をかくしているものなのである。 作家 |
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小説 作家と読者とすべての登場人物とが、ともに手をたずさへて嘘の世界を逍遥することこそ小説の正しい方法だと思う。 住居空間と文学 「わたしは、日本の近代小説はとくに、住まいとその中に閉じ込められた気分のことばかりを延々と描写してきたとおもっている」西川裕子 白石かずこ 詩人 (詩集「浮遊する母、都市から」 からコトバを拾う) てのひらにのせてあげるから こっちへ むかうみちは そこでとぎれている ひらり ひらひら 雪のふる夜は ひらひら 雪よりひらひら ひいやり ひらひら雪泣きやめず ふり ふり ふりつづけ 昨日(夢の中で あなたをみました) 死と生が ここでよく顔をあわせます ギンズバーグは だいぶ前に いきました。 勝手に 天へ 浮遊するものよ いや応なく浮遊するものよ 空は晴れている そのほかに なにを 期待しよう ここでは 誰も 笑顔を 交すだけ 老女は ピザをおとしたのです 九十二年の歴史のはいったパスポー ほとんど いやしく 且つ 気品ある獣性に まっすぐ 見つめられる時 人間は もろくも 磁場から ころげおちる ときには 砂漠に ひとり踊りするコトバたちを追放せよ 神経が百合の頭になってゆれるのだもの 会計士のように キツツキが 机に むかっています こんな夜は わたしも わたしの中のビーバーさんも ぐっすり 眠ることができるのです できるのです 書物をひもとく なにもかかれていない おそらく なにものも かくことのできない なにものも よむことのできない 永遠に 書物ひもとく ひとりの男よ 詩は頭をかかえているが 夜は毎晩きっかりやってきた リラの花咲くころ、くににもどることにしているわ サーニャ 夕食の時間だよ あぶないから 上へ あがってはいけませんよ 抒情とは 幸福なものである 悲しみや絶望をふかぶかと抱きかかえる 巨きな霧であるからに
衆妙之門 道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。(老子) 椎名麟三 文字通り「ホントウの身体」「ホントウの心」を示すために、いかに悪戦苦闘したことだろうか。氏は「微笑をもって正義をなせ!」では満足できなかった。むしろ、微笑をもって不正をなさねばならぬ人々のために書いたのである。(「美しい人」について・武田泰淳) 自分らしく 地上に生きる者の最上の幸福は 自分さえ失わずにいられるなら 人生の夕べ 写真 いい写真とは、過ぎ去った時間まで揺らし、かなたの時代に生きていたひとと同じ時間を共有しているような「錯覚」と「赤の他人」に思いを馳せらす自由を見る人に与える。 写真 「写真は、空間のフレームではないんだ。時間をフレーミングするもの。だから、写真の. 事件の報道 ある事件を”私有”することは、作家にとって大切なことである。「罪と罰」がある新聞をきっかけとして構想されて行ったことは誰でも知っていることである。 詞華集 昭和4年9月に刊行された佐藤春夫の「車塵集」。 しづこころなく散る花に 風花 日に将に老いんとするに、 現在、成都には薜濤の旧居跡を「記念する望江楼公園がある。 常套句 常套句や観念や映像などはーーたとえどなに難しいものであろうともーーすくなくとも未知のある世界からわれわれのところにやってくるものではないのだ。それは愛や憐れみの情がわれわれのものであるように、われわれのものなのだ。さらにそれらのものについて抱いている知識は、それらと全く無縁でなぞありえないのである。 ジャズ Miles Davis 絶えず変化し挑戦する。それが人生。 1. "From Cool To BOP The Anthology" by Miles Davis 詩の風景・詩人の肖像14−多田智満子 鏡 私よりすこしばかりおくれてわらう 私はカニのように赤くなって 鏡からはみ出た私を鋏で切りとる (多田智満子詩集より) 彼女たち珊瑚らは 雪はまだ降らない だが羊たちゆっくりと 歩いていた空と いまは ちがう 明後日の方をみてるような薄目をあけてる そんな空である クリスマスも もう興味はない 友は 天に召されるのだと それは初体験なのよ といった その叡智と涼しい決意にみちた顔を 今日みない 想像するだけである 耳たぶの傍 手首に と 彼女から赤い珊瑚がとどいた 涙のように透明で 赫々と詩がうたいだすときのような 繊細な情熱に満ちたプレゼントだった 今は夜なので彼女たち珊瑚らは眠っている 雪は まだ降らない が、私は嵐の来る前に羊たちを部屋に招きいれ 長い糸で編みだした みえない虹を 糸電話のように 彼女が どこにでも もっていけるように (わたしは詩をしたためると、彼女に送った。白石かずこ・るしおる64・書肆山田)
われらの裡なるイナンナ チマコよりカズコへ 2002年晩秋
世界でいちばん古い国の 世界でいちばん古い女神は (それでもやっぱり天へ挙げられることなく) 冥界へ降りていったのだ 第一の門を通るときは帯とヴェールを 第二の門では腕輪と指輪を こうして降りるにつれて裸になり とうとう美しい裸身だけを身にまとうて 冥府の底へと降りていったのです そして犬のように釘に吊るされたともいう
ですから友よ私はひそかに恐れていたのです いちばん古くいちばん新しい詩の女王への あの貧しい捧げものが なにか不吉な予兆になるのではないかと・・・・・・・ しかしまたこうも思ったのです 詩の女王はあの古い女神と同じように 海の底から浮かびあがるこの国の海女のように (そう龍王から珠をとり還して海上に 浮かみあがったあのお能の「海女」のように) あの美しい脚で肺気腫という不吉な波を蹴立てて 堅い冥王星の座を蹴破って 《たたなはる波また波》をかきわけて 必ずや再生の光を浴びて立ち顕れるにちがいないと・・・・・・
子羊のようにあなたの裸形を とり巻いた小さな珊瑚に祝福あれ 彼女らを波からあらわしつつ あなたはそれを投げ返すでしょう そして私は再び第一の門第二の門と 冥くてまばゆい秘儀への道を辿りながら あなたの手首足首をつかもうとするでしょう 血の雫のような珠で 私たちの共有したものを しっかりにぎりしめるために・・・・・・・ (るしおる64・書肆山田・2007年5月26日。白石かずこ) 小説家 自己を違うものに仕立てられるかどうか。 (真贋 吉本隆明 講談社)
釈 超空 志水辰夫 蓮花 LOTUS 鈴木薫著 ラトルズ(写真集) 湯上りの天女のようなというのは、蓮の花の匂いを私が形容したのである あの夏少年はいた 川口汐子・岩佐寿弥著 れんが書房新社 「人間は誰でも、心の中に追憶の映画館を持つ」(なかにし礼)はるかなときを超えて、再び男女の人生の交錯を紡ぎ出した、大人のメルヘン 詩集 谷川俊太郎選集 集英社文庫 立原道造・津村信夫 新学社近代浪漫文庫 石原吉朗詩文集 講談社文芸文庫 詩 旅をしても滞在するな 一泊もするな 夜の汽車で発て(小野十三郎) 「勇気をもって現実から離れて、「空想」に走って真の現実のありようを先取りしよう。先取りこそ」詩の役目であり、詩でないとやれない仕事なのだ」 「読者の日常感覚に異質なものを持ち込むことによって、はじめから拒絶されているほうが、まだしも詩人の行動態勢として健康なのだ」 (小野十三郎・「旅と滞在」のなかの詩句・「若い人のための現代詩」安水稔和・教養文庫 小説の上手 文章の匂い、自分の語り口、読者をお話の国にヒョイと運んでくれるリズム 小説家 1ページ読んで誰の文章かわからないものを私は文芸として認知しないことにしている。 小沼丹・川崎長太郎・高木のぶ子・瀬戸内晴美・庄野潤三・小池真理子・内田百フ・佐藤春夫・芥川龍之介・吉屋信子・三島由紀夫・川端康成・川上弘美・太宰治・夏目漱石・ 町田康・松浦寿輝・野溝七生子・吉行淳之介・岡本かの子 人生 ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。 人生の価値 人生の価値は、金でも社会的地位でもなく、自由に勝手気儘に生きることではないかと
ジョンレノン Imagine Imagine there's no countries Imagine no possessions you may say I'm a dreamer 想像してみて 天国はないって 想像してみて 国々はないって 想像してみて 欲得はないって 君は僕が夢を見てるんだって? 人物論の本 木村毅編「明治文学全集92・明治人物論集」 (紙つぶて・自作自注最終版・谷沢永一・文芸春秋) 書道の本 書家・宇野雪村「法帖」 写真 「写真は、空間のフレームではないんだ。時間をフレーミングするもの。だから、写真の |
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鈴木真砂女 夏帯や一途といふは美しく
すみだがわ すみだ川にごりてくだる水のおもにきょうもうつる花のかげかな 私は、「なんの変哲もない石ころ」の凝視こそ「崇高の美学」の原点なのだといいました。だから「石ころ」のはらむ他者性との対峙ないし対話に臨んでこそ、真の「野生の崇高さ」がぎりぎりこちら側の場所(=現在の肉体の損する此岸)に立ち現われてくるように思うのです。 崇徳上皇 「其の力を以て、日本国の大魔王となり、皇をとって民となし、民を皇となさん」(保元物語) 随筆 夷斎石川淳先生の名言を思い出した。正確には川本三郎に教わったことを思い出したのだが、(随筆とは博く書を探し、その抄をつくること)というのである。 スタニラフスキー 須田剋太 差異存在の実態、万人万差の体験あるのみ。 鈴木志郎庚 「好きたあ、なんのことだ」「好きっていうのは、好かれたいことよ」 |
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セキザン 天高し樹林の影の藪柑子 千家元麻 繊細さ 繊細さというのは、じつに節度のことなのだ。また節度を越えようとするのが現代人の情熱であり、きびしさである。この情熱がなくては、たいていのことができない。 蝉時雨 死ぬときは 一人の母に 蝉時雨 逝きてなお 母のままなる 蝉時雨 (森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社) ジンチョウゲ 図書館の前に沈丁咲くころは恋も受験も苦しかりにき 吉野英雄
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即物 「即物」本当の意味で物に即するということ。本当に物に即するには、抱き合わなきやだめ、離れていたんじゃだめなんだということ。そうなったときにほんとうの理解ができる。俳句としても素晴らしい俳句ができる。「生き物の感覚」即物の姿勢は抱き合う姿勢、抱きとる姿勢。 蘇東坡 蘇軾詩 澄邁驛通潮閣 春宵一刻値千金 春の宵は一刻千金の値 そば屋 そば屋の客には人生がある。「人生の味それぞれに蕎麦の客」 |
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