文芸辞典 (な〜の)
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中村苑子

 翁かの桃の遊びをせむといふ

 うしろ手に閉めし障子の内と外

 膝だいて影と居るなり十三夜

中桐雅夫

きのうはあすに

新年は、死んだ人をしのぶためにある、

心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、

おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、

でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?

人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、

きょうはきのうに、きのうはあすになる、

どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる、

でなければ、どうしてこの一年を生きていける?
(会社の人事・晶文社)

中条ふみ子(歌人・大正11年帯広生まれ・歌集「乳房喪失」昭和29年8月3日死)

灼きつくす口ずけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給え

灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽の如くに今は馴らしつ

施術されつつ麻酔が誘いゆく過去に倖せなりし我が裸身見ゆ

遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子等は受け取れ

音高く夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる

(詩の荒野より・清水昶・小沢書店)

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カバー写真

中城ふみ子歌集

著者 中城 ふみ子
ヨミ なかじょうふみこ
シリーズ 現代歌人文庫 4 
ISBN ISBN4-7720-0191-3 C0392
判型 四六判並製
頁数 158ページ
発行 1981.3.30
定価 1260円
分野 日本文学(短歌・俳句)
在庫 有り

CONTENTS |概要目次この本を注文類書・その他
概 要
昭和二九年、戦後歌壇に突如華々しく登場し、乳癌のため三一歳の若さで生涯を終えた女流歌人中城ふみ子の生と死、性と愛の不滅の作品を収める。

なつかしさ

なつかしさへの記述や写真がおおいのは、なつかしさとは固まってしまった時間への一方的‘倖宰・・他人への思いつながりの無いところには、きっとなつかしさが生まれるはずがなく、共感も生まれるはずがないのだから。
(東京夢譚・鬼海弘雄・草思社)

永田耕衣

1900−1997

ひとの田のしづかに水を落としけり

物として我を夕焼染めにけり

かたつむりつるめば肉の食い入るや

時時のむかしなるらん春の草

あんぱんを落として見るや夏の土

夢の世に葱を作りて寂しさよ

藤房の途中がぴくと動きたり

天行は下駄の上なり梅の花

白梅の余白の余命我に在り

人生を傍観するのではなく、人生について耕衣とともに思考することを求められる。(四ッ谷龍)

書・墨画も残されている。97年をどのように生きた人か。松岡正剛氏は老いて妖気の漂う老人力あり、禅僧盤珪の不生禅を感じるという。

(永田耕衣・『耕衣自伝』・1992 沖積舎 )  

  

長塚節


たらの芽のほどろに春のたけ行けばいまさらさらに都し思ほゆ

つくばねに雪積むみれば榛の木の梢寒けし花は咲けども

樟の木の落葉を踏みてくだり行く谷にもしげくしゃがの花さく


名古屋


名古屋は本当に閉鎖的な大田舎であり、食べ物がまずい。なんといったって、ふるさと福井の味噌、蕎麦、米、水なのだ。
名古屋市立大学芸術工学部はメイン学舎となる美術工学棟が完成した。
竣工式はやめ、「オープンハウス」と称してパーフォーマンスでゲストを歓迎した。来学のお礼を表示した直後に、画面には「名古屋が嫌いだ!」を映し出し、そこから講演をスタートした。
デザインは言語道断・川崎和男。(株)アスキー)、。


中村雄二郎


術語集

大学生が修得すべき基本語のカタログ。教科書の教科書。
デザインは言語道断・川崎和男。(株)アスキー

夏目漱石「こころ」

漱石が資質的に持っている過剰で且つ本格的な倫理性がこういう主題、物語を作らせてと言えるだろうと思う。
三角関係を主題とする漱石文学のもっとも初期の形態を原型までさかのぼって書いたのが「こころ」である。(時代とともに変わる面と)精神的にみた男女関係にはもうひとつあって、好きな異性ができて胸を躍らせるというのは「万葉」やギリシャの時代からちっとも変わらないということも言える
(日本近代文学の名作・吉本隆明・毎日新聞社)

 

 


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西川徹郎の俳句

ひそやかに皿は配られてゆく月の館
階段で四、五日迷う春の寺
月夜の寺が谷間の寺のなかに在る
祭あと毛がわあわあと山に
少しずつピアノが腐爛春の家
男根担ぎ仏壇峠越えにけり
剃刀が飢餓海峡を渡りけり
 

 

 

 

 

新国誠一


川または州

川川川川川川川川川川川川川川川川川川川
川川川川川川川川川川川川川川川川川川州
川川川川川川川川川川川川川川川川川州州
川川川川川川川川川川川川川川川川州州州
川川川川川川川川川川川川川川川州州州州
川川川川川川川川川川川川川川州州州州州
川川川川川川川川川川川川川州州州州州州
川川川川川川川川川川川川州州州州州州州
川川川川川川川川川川川州州州州州州州州
川川川川川川川川川川州州州州州州州州州
川川川川川川川川川州州州州州州州州州州
川川川川川川川川州州州州州州州州州州州
川川川川川川川州州州州州州州州州州州州
川川川川川川州州州州州州州州州州州州州
川川川川川州州州州州州州州州州州州州州
川川川川州州州州州州州州州州州州州州州
川川川州州州州州州州州州州州州州州州州
川川州州州州州州州州州州州州州州州州州
川州州州州州州州州州州州州州州州州州州
州州州州州州州州州州州州州州州州州州州

 

 新国誠一とASA 
新国誠一は20歳代にイマジズム、T・S・エリオットや西脇順三郎の詩を読んだ。30歳では電子音楽やガボの構成主義に関心を持ち、E・E・カミングズにも注目していたことが、彼の詩集『0音』のnoteに書かれている。その頃ぼくはカミングズの翻訳詩集を出し、カミングズを論じる研究会を毎月、白金台で行っていた。新国はその会に聴講にきた。その折りぼくと知り合うようになったのである。1964年の冬の頃であった。その年に草月会館で「具体詩展」が開かれた。中心になって世話をした人が、ブラジル大使館の文化担当のL・C・ヴィニョーレス氏、新国もとび込んで参加。ここから彼の進路は花ひらく。
 在来の詩と文学、特に詩の形式に反抗する意味で、皮肉にも芸術研究と銘打ち、更に2人だけで協会と名付けたのである。ASAの誕生である。新国はヴィニョーレスとの接触で、ブラジルの"ノイガンドレス"のグループやフランスのP・ガルニエとの共同制作、ぐんぐん上昇気流にのり海外で知られるように活躍しはじめた。しかし前々から患っていた胸の病のため、惜しくも52歳で急逝、ASAは7号で終わってしまった。
(藤富保男氏の記事より)

新国誠一没後30年に日本のヴィジュアル・ポエトリーの先駆者であり、
国内よりも海外で高い評価を受ける新国誠一の今年は、没後30年に当たる。

新国誠一の生前の活動を、藤富保男氏は、
「孤島で旗を振っているようだった」と語っていたが、
その旗は、いまだに高く掲げられていることが、
これから、次第に明らかになっていくに違いない。
そして、それは、「戦後詩史」の空白だった
前衛の在処を示すものになるだろう。
posted by 城戸朱理 at 16:28| Edge |  | )

間性

人間性とはなんであるかを最も明晰に描いた本としては、西にラ・ロシュコオの「箴言と省察」岩波文庫)があり、東に「論語」がある。宮崎市定の「論語の新研究」(岩波書店)ほど現代人の感受性にぴったりとした、しかも重厚な歴史感覚をもって訳した本はほかにあるまい
(論より証拠・谷沢永一。潮出版社)


人間


ことばを交わし、愛を交わし、お金をやりとりするもの。それが「人間」の定義である。(私が言っているのではない。レビーストロースがそういっているのである。)だから、お金はたいせつだ。(場の現代思想・内田樹。NTT出版



 


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寝させる

外国に”見つめるナベは煮えない”ということわざがある。あまり注意しすぎては、かえって、結果がよろしくない。いくらか放っておく時間が必要だということを教えたものである。ナベにも煮えるのに必要な自由な時間を与えなくてはいけない。あたため、寝させる必要がある。思考の整理法としては寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。
努力すれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。
(思考の整理額・外山滋比古・ちくま文庫)


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「ね」で始まる用語はありません。


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能 海士

http://blog.hix05.com/blog/2007/01/post_68.html



三宅晶子『世阿弥は天才である(能と出会うための一種の手引書)』草思社、1995年
タイトルは「世阿弥」となっていますが、世阿弥以外についての記述も豊富にあり、しかもそれが興味深いです。たとえば、「隅田川」に関連して、「元雅は信仰だけでは人間は救われないと考えていたのであろうか」という疑問を提示しています。また、能の見どころについても述べていて、「道成 寺」の最大の魅力は、鐘が再び上がって蛇体の女が姿を現す場面だと指摘しています。プロの能楽師も三宅氏の著作はおもしろいといっています


 

能因法師(平安中期の歌人)

都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関(後拾遺和歌集)

心あらむ 人に見せばや 津の国の 難波わたりの 春のけしきを(後拾遺和歌集)

野口米次郎
 

自伝「ヨネ・ノグチ物語」(ロンドン・チアトーアンドウインダス社)
「六大浮世絵師・岩波書店」


日本美術や日本文学をつねに世界の中で眺め、それ独自の価値を世界に向かって情熱的に説きつづけた稀有な詩人批評家。

随筆「雨」雨に煙る春のテムズ河を眺めつつチェルシー付近を散歩した。

濃霧のような眼前の雨は水面に達しないうちに消える。細かい雨を通して見る向河岸の家屋は、広重の絵にある白壁の土蔵かと思われる。テームス河上を悠々と流れて行く小舟は夢でも積んでゐるのであろう。
きまぐれ読書・富士川義之。みすず書房

野がけ 野点

野がけはなかんずく、その土地のいさぎよき所にてすべし。おおかた松陰、河辺、芝生などしかるべし。主客の心も清浄潔白を第一とすべし。
南方録)(茶道名言集・井口海仙・現代教養文庫) 

 
 
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