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川端康成 「私が第一行を起こすのは、絶対絶命のあきらめの果てである。つまり、良いものを書きたいとの思いを、あきらめ果ててかかるのである」(文芸的自叙伝)それを実地にやったのである。それは三十二、三枚の「禽獣」という作品であった。虚無の風が胸の中を吹き抜けて行くような作品で、多くの人に感銘を与えた。 ガルシン(1855−188) 十九世紀ロシヤ文学の鬼才。「紅い花ほか四編」岩波文庫。 風 風は嵐。三月ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風。 韓国現代詩 揮発油 許英子 揮発油のような 女でありたい 重さを感じない 軽やかな魂と 熱くて危険な 可燃性の胸と 滓ひとつ残さない 純然たる揮発 まこと そんな液体のような 恋人でありたい (韓国現代詩集・土曜美術社・竹久昌夫訳) わが永遠は 徐廷柱 永遠:とこしえ わが永遠は むらさきいろの リラの 光と香りの道なり。 行き行きて 人気なき窪みあり、 小学校のあの女先生の 背ほどの窪みあり、 麗しい女先生の背ほどの窪みあり、 下りてひとり、ぽつねんと座せば 汗の額もいつしかぬぐわる むらさきいろの リラの 光と香りの道なり わが永遠は (未堂・徐廷柱詩選 朝鮮タンポポの歌。冬樹社) 金子薫園
智慧の相者は我を見て 「草苑」主催 女の心触れあうていて藤垂るる 牡丹昏れ夕べのひかり空に満つ 葉桜の夕べかならず風さわぐ 窓の雪女体にてをあふれしむ ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 角田光代 書く 書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書く 歌碑 会津八一生前の歌碑 画家 「ダメな画家は画家に学ぶ」 「優れた画家は自然に学ぶ」 ダ・ビンチの言葉 神谷美恵子(1914−1979) 「時々泣きたいほど勉強に専心したくなるけれど、そういう時はいつも岡本かの子のとった 漢字の語義 「字通」を見ていると、どの漢字説明にも「説文」が論拠に使われている。「説文解字」は |
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木村香代子 小鳥 小さな小鳥は よくみると きびしい目をして その ふくよかな胸毛の下には 人間よりおとなびた なやみ と おもいを ひめている QUESTS How long is life? How broad is the world ? How deep are truths ? When is the time of happiness ? Or fulfilment of life ? The years of search for these in blind qestioning Was the passage of my life. At this age of sevently I stand on the starting line. (英語と私・わが半生のリズム・木村香代子・大和書房) 紀貫之(平安前期の歌人) ひとはいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける(古今和歌集) 秋の菊 にほふかぎりは かざしてむ 花よりさきと 知らぬわが身を(古今和歌集) 紀友則(平安前期の歌人) きみならで 誰にか見せむ 梅花 色をも香をも しる人ぞしる(古今和歌集) あずま路の 小夜の中山 なかなかに 名にしか人を 思そめけむ(古今和歌集) |
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木下順二 木下順二氏の最期の身の処し方についてー 「寡黙な先生らしいご最後・・・」と、ある人の死の報道に感服した。それは、劇作家木下順二氏が、一ヶ月前の06年10月30日にお亡くなりになっていたということを、本日 11月30日に知った時だった。一ヶ月の間、遺族は故人の遺志を守り、武田信玄のようにその死を公表しなかった。もちろん葬儀も告別式もない。現代最高の演劇人らしい身の処し方というべきだろうか。享年は92歳だった。
はただ少数者のもにのみ可能なことなのである。 起源をみれば本質がわかる 三木成夫(解剖学)さんの本から学んだことがたくさんあります。起源がなにかを追跡していく。 (真贋 吉本隆明 講談社) 北原白秋 嘆けとていまはた目白僧園の 夕べの鐘も鳴りいでにけむ 木下杢太郎 花ちりつ、 花ちりつ、 灯に揺れて、花ちりつ 北川冬彦 早春 夜半 北川冬彦は、短詩運動を始めた人で、するどい直観力で、ものの精髄をつき止めようと 記憶 記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ
教育の目的 一つは、社会の中で協調性のある子供を育てること。しかし芸術表現にまで及ぼすのはど
私は「壬生義士伝」に、
「田舎の食卓」 乾草いろの歳月が燃される 僕のまわりで あの蜜蜂の翅の音が 僕を煮る 悲哀の壷で ああ とろ火で (詩とことば・荒川洋治・岩波文庫)
濡れ縁におき忘れた下駄に雨がふっているような どうせ濡れだしたものならもっと濡らしておいておいてやれと言うやうな そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしていた (詩とことば・荒川洋治・岩波書店) |
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草笛とは童心の歌でありふるさとの賛歌であった。 くりかえしは、遊びであって、しかも特別大切な任務を果たしているもの。くりかえしは今過ぎ去ったものをもう一度呼び戻し、確認するだけでなく、新しい余韻を創り出す。シューベルト「さすらい人の夜の歌」ゲーテ詩。 クレー ”ミロは砂濱で風船を飛ばすようにして描く。無窮の空に舞う原色の紙風船” 窪田空穂 (夭折詩人。北栄社から詩集が最近出版。久世光彦氏の解説) 久世光彦 さむいね。 ああ、さむいね。 蟲がないてるね。 ああ、蟲がないてるね。 もうすぐ土の中だね。 痩せたね。 君もずいぶん痩せたね。 どこがこんなに切ないんだろうね。 腹だろうかね。 腹とったら死ぬだろうね。 死にたかないね。 さむいね。 蟲がないてるね。 処女詩集「第百階級」 こ秋になり、冬眠しなければならない蛙のモノローグでできたこの 詩は、人間の寂しさとつながりあったものです。 |
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建築でしかできないこと 膨大な時間と途方も無い検討と実践。そこに込められた想いに、人が、動物が、木々が包み込まれる。その感覚を共有するのは、建築でしかできないことなのだ。
言語 問題は、世界のすべてが全体としてかかわっているーーーというのは思想か事物か、あるいは言語かに属していないようなものは何ひとつこの世には存在しないのです。−−−秘密にあるということを考えるならば、要するに神ーースピノザのいう意味に解そうと、あるいはキリスト者のいう意味に解そうとーーにかかわるある秘密が問題なのだとすれば、この言語の聖なる性格には、もはやわれわれをおどろかすようなものは何もないのであります。楽園は常にそこに在るように思われるのです。ただわれわれにはその姿をみることができないだけなのです。少なくとも、言葉が、われわれてにとってはその存在の証人なのであります。われわれの用いる、あるいはわれわれを用いる言葉や言語というものが。 源氏物語 読み続けようとする興味。それは何に由来するのか。 作者の自分の素材に対する関心の一途さ、−沈着で不断で柔軟なある時代を生きるひと 簡潔で純粋な、生きた神経と屈伸自在さを共にする散文性がそこに成り立つ。 (寺田 透 足跡展望より) ケンブリッジ歌謡集 「ケンブリッジ歌謡集」の大部分は、ドイツのライン川とモーゼル川の合流地点近くで作られた。 「カンタベリー歌謡集」と呼ぶのがより適切と言う。宗教詩と恋愛詩が数多くある。 恋人の誘いの歌 このような酒宴も 甘美な語らいほどに 僕の心を 楽しませてはくれないし、 これほど豊かな御馳走さへも、 睦み合うことほど 嬉しくはないのです。 愛する人よ やがてすることを ひきのばしても 楽しいことなどありましょうか、 いずれすることは すぐ行うがよく、 僕には一刻の猶予も 耐え難いのです。 さあ 急いで、愛する妹よ そして わが恋人よ 僕の瞳の輝く光よ はたまた僕の心の愛のすべてよ (瀬谷幸男・完訳 ケンブリッジ歌謡集) 傑作 岡本かの子「母子叙情) 現代詩 現代詩は、その叙情の科学に「批評」の錘を深く沈めていることによって、短歌や俳句の詩性と区別される現代の歌であることをわすれてはならない 芸術の本質 世界をどのように見るかです。 芸術を見る 信解・情解・知解でわからなくてはいけない。経典の場合も同じ。
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古典 飲むには古い酒、信頼するには古い友、読むには古い著者 アミエル 鉤勒法 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり 言ひかけて開きし まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ 慰めも励ましも要らぬもう少し生きて一寸(ちよつと)はましな歌人になるか じがいもを買ひにゆかねばと買ひに出る この必然が男には分からぬ 古仏心といふは、空王那畔にあらず。粥足飯足なり。草足水足なり。かくのごとくなるを粘来して、坐仏し作法するを、発心と称す。 古典 古典が古典であるのは、それがある構造上の規則に従っているとか、ある定義に則っているとかによるのではない。ある種の永遠不変の抑えがたい新鮮さがあるからである。 恋 人間の悩みの多くは、 肉体と感情の老いの歩みが一致しない という矛盾から起ることが多い。要するに ぼろぼろになった容れ物に瑞々しい心(感情)が満たされている という矛盾の相克である。 七十になっても九十になっても、好きな人にめぐりあえば、十七、八の時と 同じようにわくわくどきどきするのである。 瀬戸内寂聴・「私の履歴書」日経新聞社・石田修代・「私の履歴書名碁録」三笠書房
小島なお すっぽりとタートルネック着たわれはきみに気づかぬふりをしている なんとなくかなしくなりて夕暮れの世界の隅に傘をわすれる その場所を愛しつづけて公園のきんかんの実は重くなりゆく (歌集 乱反射 小島なお 角川書店)
孤独と友人 言葉 言葉についてということは、文学についてということなのだ。なぜなら一方は他方なしには成り立たないからである。完璧さというものがわれわれを不安にするのは、単に書物の中ばかりではなく、会話においても全く同様である。「真面目にしてはあまりに雄弁すぎる」とか「本当にしてはうまく言われすぎてる」と我々は考えてしまう。 言葉 ここで簡単に二つの点を指摘しておかなければならない。一つは、恐怖政治は一般に観念のほうが言葉より価値があり、精神のほうが物質よりも価値があると認めることである。すなわち、両者の間には性質の相違に劣らず品位の相違があるというのである。これがその信仰であり、あるいはむしろ、その偏見なのである。 古書の値 1.その本の持つ価値(価値性=V)
ゴンクール 小林秀雄 コーヒー 外の景色が雨に靄っていれば言うことはない。梅雨模様の柔らかい雨は、コーヒーによく合うような気がする。 恋 恋の歌は恋の実際より美しい。 (森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社) 谷神(こくしん) 谷神は死せず、是を玄牝と謂ふ。玄牝の門、是を天地の根と謂ふ。綿綿として存するが如し。之を用ふれども勤きず。(老子) 小島信夫 「うるわしき日々」 小林一茶 蝶とぶやこの世に望みないように むつましや生まれかはらばのべの蝶 手枕や蝶は毎日来てくれる 寝るてふにかしておくぞよ膝がしら こころ 内臓の世界がつくりだす「気分」を「こころ」という。(三木成夫)脳科学者が言う「こころ」と
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