文芸辞典 (あ〜お)
 ホーム     戻る
 http://www.tobari-kaikei.com/cgi-bin/login.cgi 更新君
 


http://www.google.co.jp/

在原業平(平安前期の歌人)

 世中に たえてさくらの なかりせば  春の心は のどけからまし
                                (古今和歌 集)

 忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪ふみわけて 君を見むとは
                                (伊勢物語)

 

アナトール フランス(20世紀フランス作家)

 (人生の終りに青春を」
 [日本放送・2009・11.23.10時)

 親にも、君にも、すべてうち語らふ人にも、人に思はれむばかり、めでたきこと 
 は あらじ。
 [枕草子)

 私はあなたのお目にうつる
 ただそれだけの女です
 でもあなたのために、
 このままの私より、百倍も立派な女になりたい(ヴェニスの証人・ポーシャ)
 (シエクスピアに学ぶ 老いの知恵 ・小田切雄志・幻冬舎)

アポリネール(Guillaume Apolllinare1880-1918)

LE PONT MIRABEAU

Sous le pont Mirabau coule la Seine

      Et nos amours

  Faut-il qu'il m'en souvienne

La joie venait toujiours apr'es peine

     Vienne la nuit  sonne l'heure

    Les jours s'en vont je demeure

  ミラボウ橋の下 セーヌは流れる

 私の恋もまた 

 思い出さねば ならないのか

 喜びはいつも 苦しみの後に

 

 夜のとばりよ 鐘よ鳴れ

 日々は過ぎ 私は残る

 

Les mains dans les mains         
     restons face a face         
 Tandis que sous le Pont         
     de nos bras passe          
 Des eternels regards l'onde si lasse   

 Vienne la nuit sonne l'heure       
 Les jours s'en vont je demeure.     

 貴女と私の
 手と手 顔と顔と




 
 そのつくる橋の下を


 
 とこしえの想いを
 
 疲れた水は流れてゆく
 夜のとばりよ 鐘よ鳴れ
 日々は過ぎ 私は残る
 L'amour s'en va comme cette eau courante
 L'amour s'en va comme la vie est lente 
 Et comme l'Esperance est violente    
                      
 Vienne la nuit sonne l'heure      
 Les jours s'en vont je demeure.  
 
 流れる水のように   愛は去って
 遅すぎた人生のように 愛は去って
 私の熱い望みも また
 夜のとばりよ 鐘よ鳴れ
 日々は過ぎ 私は残る
Passent les jours et passent les semaines
 Ni temps passe              
 Ni les amours reviennent         
 Sous le pont Mirabeau coule la Seine   

 Vienne la nuit sonne l'heure       
 Les jours s'en vont je demeure.     

  過ぎゆく日々   かのときも
 私の恋も       戻らない
 ミラボウ橋の下   セーヌは流れる
 夜のとばりよ     鐘よ鳴れ
 
 日々は過ぎ   私は残る
(訳 戸張セキザン)
 

 

アルセイニー・タルコフスキー(詩人・1907−1989)

 燃え尽きた一本の蝋燭

 僕は蝋燭、僕は宴で燃え尽きた。
 朝になったら僕の蝋燭を集めてください、
 するとあなたにそっと教えるでしょう、この
 一頁が、いかに泣くべきか、何を誇るべきか、
 最後に残った楽しみの三分の一をいかに
 みなに分け与え、安らかに死を迎え、
 そしてたまさかの宿りのもと
 言葉のごとく、死してのちいかに燃ゆるべき
 かを。

(雪が降る前に・アルセーニー・タルコフスキー著・坂庭淳史訳・鳥影社)

Alcohol

 'Alcohol is like love,'he said. 'The first kiss is magic. the second is  
 intimate, the third is routin. A
fter that you take the girl's clothes off..'
  (THE LONG GOOD-BYE/RAYMOND CHANDLER/PENGUIN)

遊び相手

 十返肇が死んでしまって、身のまわりがさびしくなった。
 作家の遊び相手として、あのくらいつきあいのいい批評家というものはいなかっ 
 た。私はここで、この、遊び相手ということばを、軽いものとして言っているので 
 はない。
 文学、芸術に、遊びの要素というものは不可欠であり、かつ必然であると 
 するならば
、それにつき合う批評家というものも、腹をきめた遊び相手でなけれ 
 ばならぬ。腹のきめ方にもいろいろあるであろう。学問であるとか、歴史というも 
 のを一方に睨みながらつき合って行くというきめ方もあり、十返君のように学問 
 歴史関係なしとして、つねに現在の時間を遊泳して行くことに腹をきめるという法もあった。
(堀田善衛・戦後文学エッセイ選11・影書房)

鮎川信夫

きみがいたすべての場所から
きみがいなくなっても
この世のすべては変りない

あってなきがごとく
なくてあるがごとく
欄外の人生を生きてきたのだ
(「宿恋行」「地平線が消えた」)
(古本暮らし・萩原魚雷著・晶文社)

安西冬衛

   

てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった。

(柴田翻・詩に誘われて・ちくまプリマー新書)

 

アミエルの日記

フレデリック・アミエル(1821−1881)


{「夢想を事とするは、夜の雨のごとし、昼の暑さに倦み疲れて蒼白なれる思想もまた、緑の
色に浸ればなり。」
河野与一訳)}


哀惜

{哀惜とは、自分の中に密やかにいだいている悲しみの情である。どこか優しさに通じる要
素が宿っている。

さまざまなこと思い出す桜かな  芭蕉

観音の大悲の桜咲きにけり    子規

(川崎和男著「デザインは言語道断」((株)アスキー))

荒川洋治 詩人1949年 福井県


詩のかたち 行わけ  そのひと 並べる メモの世界 くりかえし リズム 詩に飛躍はない。
は個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する。
詩は読む側に立つだけだと、いつまでも、無縁のもの、遠いもの、見えないものになる。その
詩の作者になってみてはどうか。
詩というものは、実にきわどいものだ。才能のある人が必ずしも評価されない。
詩は、曲がつかない。だから、はじめからはずかしい。
とのかかわりがなくなってから、人の心が変わったのではないか。
詩がフィクションであるという詩の基本をあらためて確認し、詩が過剰に「私物化」され
る動きをくいとめなくてはならない。
(「詩とことば」  2004年12月16日 第一刷 岩波書店

饗庭孝男

アベラールとエロイーズ  存在そのもの愛
エロイーズの愛  「あなたと離れて決して存在することのできないただ一人の私の心」
アベラール 「論理学者であり、キリスト者たることの主張、愛よりも論理が優先」
(『新版フランス文学史』白水社「西欧と愛」 小沢書店昭和 59年2月20日

網野善彦

日本中世史研究家
「無禄・公界・楽」

 
有元利夫

「花びらが降る、というと人によってさまざまなことを連想するでしょうが、僕の絵の場合の降
る花舞う花びらは、まさにエクスタシーそのものです
。花は、洋の東西を問わずおめでたい
歓喜の時に降ってくるものなのです。インドの花まつり、ボッティチェリの《春》にしてもそう。」
「古典的な画調をメルヘン的な甘美さに溶かしながら、今日風のデザイン感覚とつないでいるところが魅力であろう。--河北倫明」
目標はときかれて、「雅、放胆、枯淡、稚拙、純、省略、不整美、無名色、無造作というような要素を自分のなかに持つことです.....」
(花降る日・奥さんによる評伝)

アナベル リー(ポーの詩)

Annabel Lee

by Edgar Allan Poe, 1849
It was many and many a year ago,
In a kingdom by the sea,
That a maiden there lived whom you may know
By the name of ANNABEL LEE;
And this maiden she lived with no other thought
Than to love and be loved by me.

I was a child and she was a child,
In this kingdom by the sea;
But we loved with a love that was more than love-
I and my Annabel Lee;
With a love that the winged seraphs of heaven
Coveted her and me.

And this was the reason that, long ago,
In this kingdom by the sea,
A wind blew out of a cloud, chilling
My beautiful Annabel Lee;
So that her highborn kinsman came
And bore her away from me,
To shut her up in a sepulchre
In this kingdom by the sea.

The angels, not half so happy in heaven,
Went envying her and me-
Yes!- that was the reason (as all men know,
In this kingdom by the sea)
That the wind came out of the cloud by night,
Chilling and killing my Annabel Lee.

But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we-
Of many far wiser than we-
And neither the angels in heaven above,
Nor the demons down under the sea,
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee.

For the moon never beams without bringing me dreams
Of the beautiful Annabel Lee;
And the stars never rise but I feel the bright eyes
Of the beautiful Annabel Lee;
And so, all the night-tide, I lie down by the side
Of my darling- my darling- my life and my bride,
In the sepulchre there by the sea,
In her tomb by the sounding sea.


 

 遊び

人類文化の本質は帰するところ遊びなり ホイジンガー「ホモ ルーデンス
(高橋英夫・本の引越し・筑摩書房)

 会津八一

学規四則

1.深くこの生を愛すべし

2.省みて己をしるべし

3.学芸を以って性を養うべし

4.日々新面目あうべし

 芥川龍之介「玄鶴山房」

 芥川の言う中産下層の出自と知的世界にいることとの乗離が終生、芥川を脅 
 かし続けたと思う。芥川はいわば、下町の悪ガキだった。そこから逃亡して、知 
 的な都会人になっている自分がいる。彼は出自と現状の乗離から生まれるニヒ 
 リズムを深化させることで「玄鶴山房を書いたエゴイズムが渦巻く世界を描 
 き出すことに成功した

 (
日本近代文学の名作・吉本隆明・毎日新聞)

 朝顔

 朝顔に寝みだれ髪の櫛おちぬ

 淡路女

阿呆

 思考とその対象を峻別するのが近代の人間の道理であり、これを混同すれば阿呆とされる。それでもこの阿呆の沙汰がさまざまおこなわれるその中でも、とりわけて熱心な阿呆は、文学というものに従事する者たちである。しかし言葉と現実とを等しいもののように感じることなしに、そしてその幻想につくすことなしに、文学は成り立つものだろうか。
(「山躁賦」の著者より。古井由吉)
 


http://www.google.co.jp/

伊勢(平安前期の歌人)

なき人の かきとどめける みずぐさは うちみるよりぞ かなしかりける(伊勢集)

冬枯れの 野ベとわが身を 思ひせば 燃えても春を 待たまし物を(古今和歌集)


 

井上井月

   染め急ぐ小紋返しや飛ぶ小蝶
   のぼり立つ家から続く緑かな
   若鮎や背すじゆるさぬ身のひねり
   およびなき星の光りや天の川
   折ふしは人にもかざす日傘かな
   鶏頭やおのれひとりの秋ならず
   霧晴れや実りを急ぐ風の冷え

   象潟や雨に西施が合歓の花(芭蕉)
   象潟の雨なはらしそ合歓の花(井月)
   俤(おもかげ)や姥ひとり泣く月の友(芭蕉)
   山姥も打か月夜の遠きぬた(井月)
   不性さやかき起されし春の雨(芭蕉)
   転寝した腕のしびれや春の雨(井月)
   けふばかり人も年よれ初時雨(芭蕉)
   今日ばかり花も時雨れよ西行忌(井月)

   菜の花のこみちを行くや旅役者
   山雀や愚は人に多かりき
   山笑ふ日や放れ家の小酒盛
   葉桜となっても山の名所かな

 時代は明治に入る。けれども時代の価値観の転倒は井月を動揺させてない。
  よし女という女にも惚れた。
 伊那谷に芭蕉庵をつくろうともした。そうした井月の執着に共感したのが医者
  の下島勲なのである。芥川に井月を教えた医者だ。下島は井月の句集も編ん
  だ。
 いま、井上井月を読むということは、かなり時代錯誤をすることになるだろうとお 
 もう。けれども、では井月よりもましな生き方をして、井月よりも味のある句をつく 
 り、井月よりおもしろい字を書いている者がどこかにいるのかというと、すぐには 
 見つからない。
 本書をヒントに井月を知ってもらいたかった。

   松よりも杉に影ある冬の月

 (松岡正剛・千夜千冊・webサイト)

 何処(どこ)やらに鶴の声聞く霞かな(井月辞世の句)
   井月は鶴の背にのり、愛しい家族の待つふるさと長岡に向かったのだろう 
  か。

 雁がねに忘れぬ空や越の浦(井月)
 伊那谷 の人々は、この句碑を越後に向けて建立し、放浪の井月の魂を長岡に 
 帰してやった。
  「千両、千両」、どこかで井月の声が聞こえるようだ。

 長岡市内には2つの句碑があり、悠久山には辞世の句が、柿川の追廻橋の近 
 くには次の句碑が建っている。
 鳥陰のささぬ日はなし青簾(井月)
 (web 井上井月)

 

井上有一

 「一歩ふみはずせば奈落の底へ転落しそうなところで作品というものは危うくも 
 ちこたえているものだ」。
 50歳になった有一の文章である。そして、こう結んだ。「くだらぬこともくだらなく 
 ないことも振り払って、書にぶちこみたい。ああそうなりたい」。

 井上有一の遺偈が死んでから発見されている。次のようなエンジンの唸りをあ 
 げるような偈であった。

   守貧揮毫(貧を守って毫を揮う)
   六十七霜(六十七の霜)
   欲知端的(端的を知らんと欲す)
   本来無法(本来、無法なり)
 (松岡正剛・千夜一夜netsaite)

 

 

 

 

いい作品

 「いいもの」は好き嫌いで判断できない何かを持っている。
 文句なしにいい作品と言うのは、そこに表現されている心の動きや人間関係と 
 いうのが、俺だけにしかわからない、と読者に思わせる作品です。普遍性と微 
 妙な心の動き。森鴎外・夏目漱石・太宰治・武田泰淳

 (真贋 吉本隆明 講談社

伊藤左千夫
 

 よきも著ず うまきも食わず 然れども 児等と楽しみ 心足らへり

 (野菊のごとき君なりきの作者・詩人)
 


逸話


 {逸話というのは、実際の出来事にほんの少々創作を加味しながらつくられるも 
 の}と
 (きまぐれ読書(みすず書房)

飯島耕一


 暗殺百美人(学研

 ドゥマゴ文学賞受賞、傑作。
 (ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックスより


飯田蛇笏1885−1962


 梵妻を恋ふ乞食あり烏瓜

 芋の露連山影を正しうす

 たまひいのたとえば秋のほたるかな


伊藤信吉


 詩は消えていくものだ
 (「叙情小曲論」)


 生きる

 生きることは常に新しい自分を知る喜びの中にあるのではなかろうか。七十歳 
 になってはじめて七十歳の自分を知ることができるのである。「われわれは、 
 まったく白紙のままで、一生のさまざまな年齢に到りつくものだラ・ロシュフコー
 (ソクラテスの琴・堀巌。沖積社)

石垣りん

 「表札など」

 みえない、朝と夜がこんなに早く入れ替わるのに。
 みえない、父と母が死んでみせてくれたのに。

 みえない、
 私にはそこの所がみえない。
 (くりかえし)


 「詩は、ひとりになった。詩はひとが生きるという、そのことに、いまとても近づい 
 ているのだと思う」
 (詩とことば・荒川洋治・岩波文庫)

 

 

 



 生まれて初めて買った絵

「生まれて初めて買った絵」  東山魁夷
烈しく雨が降っていた。薄暗い午後であった。芝の美術倶楽部で羽黒洞木村東介氏の催している「長谷川利行展」を見に行った。私はその中で「裸婦」の小品に特に心ひかれた。極度に単純化された表現の、不思議な作品である。私はそれと「赤い家」の二点を買った。どちらも孤独感と寂寥感をたたえた中に素純がものが光る作品である。矢野文夫氏「長谷川利行」の年譜を見ると、三日間の入場者が、僅かに37名であったと記されている。昭和23年のことであった。私自身、漸くどん底から這い上がってきたばかりの頃で、絵などを買う余裕は無かった筈である。恐らく、よほど安い価格であったのだろう。その頃、住んでいた工場の事務所の二階借りの、狭い部屋にそれを掛けた。この絵は、私が生まれて初めて買った絵である。

うれしきもの

 うれしきもの、恥ずかしき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、我なが 
 らうれし。
 [枕草子)

 

ウイリアム ワーズワス (英国詩人)

THE DAFFODILS


I wandered lonly as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils ;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretched in never-ending line
Along the margin of a bay :
Ten thousand saw I at a glance,
Tossing thier heads in sprightly dance.

The waves beside them danced ; but they
Out-did the sparkling waves in glee :
A poet could not but be gay,
In such a jocund company :
I gazed― and gazed― but little thought
What wealth the show to me had brought :

For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude ;
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the daffodils
.



ウイリアム シエクスピア

 美しいもの

 ヘッセの詩に「美しいものは見ることはできる。だがそれに触れることはできな 
 い。」というフレーズがある。 「唇も 交わさぬ女と 月を追い」
 (森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

宇野千代

 「幸福」

内館牧子

 オバサン指数

 「オバサン」と「大人の女」とはどこが違うんだろうと真剣に考えたことがある。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私は自分の「オバサン指数」を見た気がして、思わず雑誌を読むふりをした。

 (「ハートが砕けた」内館牧子・マガジンハウス
                                                                                                                                                                                                                   
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

ウイリアム・バトラー・イエイツ(1865−1939)


     The Coming of Wisdom with Time

Though leaves are many, the root is one;
Through all the lying days of my youth
I swayed my leaves and flowers in the sun;
Now I may wither into the truth.


 


http://www.google.co.jp/

 
  

エリテ

 「私を見るがいい。私は、もうひとつの世界、忘却を呼ぶ夢の世界にいるの   
 だ。人は日常の心配事から逃げ出すために薬に走るが、私は薬を必要とし 
 たことはない。私にとって創造こそが人生なのだ(ERTE AT NINTY-FIVE 
 より)
 (エルテ・永滝達治・六耀社)

遠藤 純 写真家

写真集 「さっき 良寛がいた」より(芸術新聞社)

 ある晴れた日、良寛はひとり五合庵でお気に入りの万葉集を読み、墨を摺 
 り、思い浮かんだ詩を書きとめる、誰に邪魔されることもなく、
 鳥のさえずり、若葉のざわめきに耳を澄まし、揺れ動く木漏れ日の影を飽 
 きずに眺める

 

エッセイ

 エッセイには思想がまだ衣服をまとった状態で提示されている。エッセイに試 
 論、つまりかなりはっきりした思考を述べた文章と、随想、すなわち、まだ明確
 な思考の形をとらない想念を綴ったものとの二つの意味がある、 
 「と思われる」ことを、そのままの形で表現するか」、もうすこしまとまりをつけ 
 た”論”にして表現するかの差である。I thinkへのエッセイが試論であるとする 
 なら、It seems to me のエッセイは随筆、随想ということになる。
 (思考の整理額・外山滋比古・ちくま文庫) 

]エズラ・パウンド

 ピサ詩編 新倉俊一訳 みすず書房より

 第74編
 
 私にはわからない、なぜ人間が耐えられるのか
   人生の終わりに彩られた天国があろうと
   人生の終わりに彩られた天国がなかろうと
 こびとの朝顔が草の葉に絡まる

  第80編

 私のかわいい娘よ、
  そして伝統を伝えてくれ
 並はずれた才能がなくとも
        心の誠があることを
 たぶん私はその伝統の衰微を見てきてしまった

 第81編

 おまえが深く愛するものは おまえから奪われはしない
 おまえが深く愛するものこそ おまえの真の遺産だ
 この世界は自分のものか、かれらのものか
         それともだれのものでもないのか
 初めに見えるものが現れ、次に触れうるものがこうして現れた
  たとえ地獄の広場でもそれは極楽
 おまえの深く愛するものこそ おまえの真の遺産だ
 

 エドガ アラン ポー

TO HELEN

 by Edgar Allan Poe, 1831

 Helen, thy beauty is to me
 Like those Nicean barks of yore,
 That gently, o'er a perfumed sea,
 The weary, wayworn wanderer bore
 To his own native shore.

 On desperate seas long wont to roam,
 Thy hyacinth hair, thy classic face,
 Thy Naiad airs have brought me home
 To the glory that was Greece
 And the grandeur that was Rome.

 Lo! in yon brilliant window-niche
 How statue-like I see thee stand,
 The agate lamp within thy hand!
 Ah, Psyche, from the regions which
 Are Holy Land!

エスカレータ

 おもえば私の仕事は、下りのエスカレータを全力で駆け登っているようなもので 
 ある動く歩道人生にはない。
森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)

絵葉書

 絵葉書は誰もが楽しめる安価な愛の画廊

( エロスの招待状・b・ジョーンズ/w・ウエレット・千石幽一郎訳・マール社)

 映画演劇評論の本

 飯島正「わが青春の映画と文学」(近代評論社)
 三宅周太郎「演劇往来」
 「淀川長治集成」

 (紙つぶて・自作自注最終版・谷沢永一・文芸春秋)

 

 

 


http://www.google.co.jp/

王摩詰

 送元二使安西

 涓城朝雨軽塵 客舎青青柳色新

 勧君更盡一杯酒 西出陽関無故人

 (唐代四百年間送別詩の代表とされた。)

 At Wei Catle a morning rain has dabbled the light dust;

 At the Inn side green , green-the new -willows tint

 Stay, Stay, and drink again , one last wine;

 For he that issues by the Western Pass will meet few friends,
( アーサー・ウェーレー英訳)

雑詩

 君自故郷來 應知故郷事

 来日綺窓前 寒梅著花未

 (王摩詰・梅沢和軒・芸艸堂)

  

小野小町(平安前期の歌人)

 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢としりせば 覚めざらましを
                                  (古今和歌集)

 うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふ物は 頼みそめてき
                                  (古今和歌集)



 

おどろき

 おどろくことをしない心はドブであり、香港フラワーである。おとこはおどろくこと 
 をしなくなった日から引退が始まる。
 (食後の花束。開高健。日本書院)

尾形亀之助

 どんなにうまく一日を暮し終えても
 夜明けまで起きていても
 パンと牛乳の朝飯で又一日やり通している

 (「日一日とはなんであるのか」詩集「雨になる朝」)
 (古本暮らし・萩原魚雷著・晶文社)

  夜がさみしい

 眠れないので夜がふける

 私は電燈をつけたまゝ仰向けになつて寝床に入つてゐる

 電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のやうに細長くなつて

 その端に電車がはしっている

 (web 緒方亀之助)

     

音楽史

 クラウト/パリスカ著・新西洋音楽史・戸口幸策ほか訳・音楽之友全3巻
 クラウト/パリスカの文章は音楽を説明した文章としても、きわめてすぐれたもの 
 である。
 (音楽の文章セミナー・久保田恵一・音楽之友社)

音楽リテラシーと音楽的リテラシー

 リテラシーは本来の意味は「読み書き能力」「書字文化」(文字を媒介する文 
 化)「音楽リテラシー」「音楽を読み書きする能力」:音楽を通して創作・演奏・伝
 承する音楽文化全体。
 音楽的リテラシー:音楽について書かれた文章から情報を取り出し、文章を解 
 釈し、省察・評価する能力であり、さらにそこから、音楽について文章を書くとい 
 う能力や態度。

 (音楽の文章セミナー・久保田恵一・音楽之友社)

大岡昌平
 

成城だより(講談社文芸文庫)

男と女
 

  この二人をみるがいい。男の木訥な態度の中にいかに女に対する愛情が十分   
 に秘められていることであろうか。そして女の男に対する態度のなかに、微塵も 
 疑ふことを許されない愛情が見られるじやないか。この二人には如何なる偽り
 の感情も不要である。
 [
小沼丹氏の「幸福な二人」の描写。]


オースター


 ポール・オースター(1947−)
 「スモーク&ブルース・イン・ザ・フェイス・柴田元幸他訳。新潮社」
 bE・ワン監督「ブル^・イン・ザ・フェース」こんな洒落た映画見たことない。「上質 
 の笑いとペーソス」が何ともたまらない傑作だった
 (ぜんぶ本の話・安原顕。ジャパン・ミックス


お金


 お金は交換のために、コミニュケーションのためにある。人間と人間がコミニュ 
 ケーションするために、人間と人間を結びつけるために、人間が何かを作り出す 
 「気にさせる」ために、「お金」は存在する。お金があればこそ、人間は「自分は 
 いったい、どんな「余分なもの」を作り出せるのだろう?」というように考えること 
 になる。自分の才能、資源、情報、スキル・・・・そういうものをてのひらに載せて 
 重さを量り、それを使って「何ができるか」を考えるようになる。そういうふうに人 
 間を仕向けるのが「お金」の役割だ
 (街場の現代思想・内田樹。NTT出版)

尾崎放哉 1885−1926

 とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

 背を汽車が通る草引く顔をあげず

 墓の裏に廻る
 (世を捨てて孤独に自己を見つめて生きた俳人)
尾崎放哉
 1885−1926

 あすは雨らしい 青葉のなかの 堂を閉める

 お堂あさくて 落ち葉ふり込む

 せきをしても ひとり

 松の実 ほつほつ食べる 燈下の子無き夫婦ぞ

 底の抜けた柄杓で 水を飲もうとした

 放哉は底のない柄杓を持って世に生まれて一生その底なし柄杓を離さず 
 にいた生涯だった!
 (底の抜けた柄杓ー憂愁の俳人たちー・吉屋信子・新潮社)

 




 

岡本かの子

 武蔵相模を貫く多摩川の流れは、岡本かの子の終生思慕してやまなかったと 
 ころである。

 岡本かの子の家筋は、二子多摩川の旧家大和屋の裔である。いろは四十七 
 蔵をもち、豪壮な邸宅と百名にあまる雇人を擁した武家出入の御用商人であっ 
 た伝ふ。(亀井勝一郎・川の妖精
 岡本かの子は森鴎外と夏目漱石と同列 
 の作家である。それぞれ他の文化において一家を成した後に小説の筆をとっ 
 た。この三人の作家は東洋の教養と西洋の文化を渾然の身につけている。
 (林房雄・日本文学の復活)
(「岡本かの子の世界」 熊坂敦子編 冬樹 
 社)

 薄氷(うすらい

 晴れやかに薄氷ふめば早春の香をたてにけり

 我がくろかみも

 天地即佛神

 うつせ身のはかなきことを知るゆゑに春はわ

 きても花のいとしさ

 木の芽のにほひ

 何事か書かんとしてぬばたまの墨をすれる

 に心空しき

 (歌集「深見草」より)

 うつし世を夢幻とおもへども百合あかあかと咲きにけるかな

 年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり

 こころよき朝雨のあと君とわがけしきばかりのいさかひに似る

 裸にてわれは持ちたり紅の林檎持ちたり朝風呂のなかに

 をみな子と生まれしわれがわが夫に粧はずしてもの書きふける

 見廻せばわが身のあたり草莽の冥きがなかにもの書き沈む

 (もの書き沈む・塚本邦雄「岡本かの子の世界」熊坂敦子編・冬樹社)

 曽て、このような苦悩が私にあったろうか  心は表現を許さない厳粛な苦悩を  
 口含みつつ、酷しく私の上に君臨している。私は奴隷のようにすすり泣きつつこ  
 まごまそこらをとり片付け取り片付けることは小説を書くことであった 
 「巴里祭」序に代えて
 (「岡本かの子の世界」 熊坂敦子編 冬樹社)


朧月

 別れたる 面影に似て 朧月

( 森村誠一・写真俳句のすすめ・スパイス社)


 大学の先生だろうと警官だろうと医者だろうと、女は常に若いか綺麗かというこ
 とが問題にされる

 (かけがいのない、たいしたことのない私・田中美津・インパクト出版会)

飲食男女(おんじきなんにょ

 「女を食べる」というと、何だか品がないようだし、食べられるほうは気味が悪い 
 だろうが、この歳になるとそんな表現がいちばん「感じ」である。可愛いし、いい 
 匂いがして、おいしい

 (飲食男女・久世光彦・文芸春秋)

 

 

ホーム     戻る