読書余滴 「梁塵秘抄」 後白河法王編集 川村 湊 訳 光文社古典文庫 
2012年01月06日                  戸張 道也

webより「後白河法王」について
後白河天皇(1127年10月18日ー1192年4月26日)は平安時代末期の第77代天皇。諱は雅仁(まさひと)。鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年に渡り院政を行った。新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調して、その後の公武関係の枠組みを構築する。南都北嶺といった寺社勢力には厳しい態度で臨む反面、仏教を厚く信奉して晩年は東大寺の大仏再建に積極的に取り組んだ。和歌は不得手だったが今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰し文化的にも大きな足跡を残した。
webより「今様」のついて
平安時代中期に発生。今様とは「現代風、現代的」という意味であり、当時の「現代流行歌」という意味の名前であった。歌詞が、7、5、7、5、7、5、7、5で1コーラスを構成するのが特徴。様々な歌詞が生み出された。平安時代末期には後白河法皇が愛好し、法皇自身も熱中し過ぎて喉を痛めたことが史書の記録に残されている。また、法皇が編纂した『梁塵秘抄』の一部が現代に伝わっている。
訳者まえがきより
「梁塵秘抄」は、日本の中世期、十一世紀後半から十二世紀にかけて、京の都を中心に流行した「今様」という歌謡の歌詞を集めたものです。編纂者は後白河法皇で、当時の社会の下層民だった遊び女や傀儡子などの芸能民が専らとした芸能を、政治力を保持し、権謀術数に長けていたといわれる法王の後白河院がまとめたものですから、日本の文学史上、文化史上、極めて異色の古典文学作品であるといえます。歌の曲や伴奏とともに、舞い、踊り、パーフォーマンスを伴ったもので、宮中に召しだされて演じたり、神社仏閣の行事に招かれたり、あるいは酒席や宴席の余興として演じられたものと思われます。 (川村 湊)

1夕日影 遊ぶ子供の 声聞けば いかに砕けむ わが思いかな

遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声きけば わが身さえこそゆるがるれ                (原文)
               みちのく 

2思い染め 恋を頼りに 陸奥は 空に忘れる 果てもなく行く

思いは陸奥に 恋は駿河に通うなり
見初めざりしば なかなかに 空に忘れて止むなまし
                  (原文)

千里の道も厭わないのが恋の道                        (川村 湊注)

         もみじば
3嵯峨野路は 紅葉流れ 筏舟 山影響く 琴の音たどる
          うぶね いかだし ながれもみじ

嵯峨野の興宴は鵜船筏師流紅葉 山陰響かす筝の琴 浄土の遊びに異ならず
(原文)

嵯峨野の「浄土遊びは=三船祭り」は中世の風流人の、まさに饗宴だったのである。                                        
                                                    (川村 湊注)

4老い行くは いかなることの 故ならむ 朝に夕べに 頼む言の葉

 我らはなにして老いぬらん 思えばいとこそあわれなれ
 今は西方極楽の 弥陀の誓いを念ずべし                     
 (原文)

「生老病死」の四苦は如何ともしがたい。「梁塵秘抄」には若さを誇るような歌謡はあまりない。                                     (川村 湊注)
                              あわびがい
5思い人 退け引く先や これやこの 波や荒ぶる 鮑貝かな 

我は思い人は退け引く是れや此の 波高や新磯の 鮑の貝の片思いなる   (原文)

「我は思い人は退け行く」というのは、悲しい人間の世界の現実である。思いかけると逃げる。逃げるから追いかける。恋の駆け引きとはそんなものだ。     (川村 湊注)

6 我が恋は 昨日見えず 今日も来ず はかなき明日の 夢如何にせむ 

我が恋は一昨日見えず昨日来ず 今日訪れ無くは 明日のつれづれ如何にせん 原文

「一昨日も待つていた。昨日も待つた。今日も待った。さて明日は?」   (川村 湊注)

7垣根越し 見れども飽かぬ 撫子は 風も吹き来よ 葉をも花をも

垣根越し見れども飽かぬ撫子を 根ながら葉ながら風の吹きも越せかし     (原文)

垣根越しにいつも見ている隣の家の撫子のような乙女に恋焦がれているのである。
                                         (川村 湊注)

8宵越して 夜も明け方に 成りにけり 飽かぬこころを 如何にせんとや 

宵より寝たるだにも飽かぬ心を や 如何にせん                  (原文)
「や 如何に せん」という言葉には自分でもさすがに「ちょっとやりすぎ」という気持ちがあるのだろう。                                  (川村 湊注)
                   よりて
9美女見れば ひともと葛 なり縒りて 離れ難きを 末の末まで

美女打ち見れば 一本葛へ成りなばやとぞ思う 本より末まで 縒らればや 切るとも                                   
                                                        (原文)
 
「縋る」「絡む」「縒る」という糸偏の動詞が、いかにも生々しく思えてくるのが、この歌の効用だろうか。                                
  (川村 湊注)

10吹く風に 消息をだに 告げばやと よしなき野辺に 落ちもこそすれ

吹く風に消息だにも託げばやと思えども よしなき野辺に落ちもこそすれ    (原文)

遠くにいて、人を思うだけでは具体的な「消息」にはならない。人の感情の機微を歌う。                                          (川村 湊注)

11 かたつむり 舞い舞い踊れ 舞うたなら 華の園まで 遊び暮らせん    

舞え舞え蝸牛 舞わぬものならば 馬の子や牛の子に蹴えさせてん 踏み破らせてん 真に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん                    
 (原文)

日本の子供たちには「カタツムリ」はずっと昔から親しいものだった。    (川村 湊注)

          たなばた ながれぼし           おしどり
12恋するは 空に織女 流星 野辺に鳴く鹿 冬の鴛鴦

常に恋するは 空には織女流星 野辺には山鳥秋は鹿 流れの公達冬は鴛鴦  原文

織女と彦星は一年に一度しか逢うことのできない、相思相愛のカップルの象徴であつた。                                          (川村湊注)
「つぶやき」

訳者川村 湊氏は、法政大学国際文化学部教授。現代に置き換えた楽しい訳です。
「遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子どもの声きけば わが身さえこそゆるがるれ」TVコマシャルで聞こえています。 「梁塵秘抄」も中世の遊び女もついにビジネスの世界に登場しました。
後白河院はNHK大河ドラマ平清盛でどのように描かれるでしょうか、
五七五七七調は索引代わりに作りました。