読書余適 平成23年1月31日 戸張 道也 「中国名詩集 井波律子著 岩波書店刊」
井波 律子(いなみ りつこ 1944年 - )は、日本の中国文学研究者。『三国志』の研究や『三国志演義』の翻訳で知られる。国際日本文化研究センター名誉教授。 主に唐以来の137首を選び 原文 訓読 注釈 現代語訳 解説 をつけている 中国古典詩の精髄と様々な時代を生き抜いた詩人の姿を伝える。極め付きの名詩と知られざる名詩を含む。 *下記の日本語訳は、本書を参考に試訳しました。* 杜牧(835-852)(晩唐)平明流暢なな作風は他の追従を許さない。 江南春 江南の春
千里鶯啼 緑映紅 千里鶯啼き 緑水に紅花を映ず 水村山郭 酒気風 水村山郭 酒家の旗 南朝 四百八十寺 南朝 四百八十寺 多少楼台 煙雨中 多数の楼閣 煙雨に霞む
劉禹錫(772-842)(中唐)ダイナミックな運動性にあふれ秀逸。 秋詞 秋の詩
自古逢秋悲寂寥 古来秋が来れば 寂寥を悲しむ 我言秋日 勝春朝 私は言う秋日は 春朝に勝ると 晴空一鶴 排雲上 晴空に一羽の鶴が 雲を排して上ってゆく 使引詩情 到碧宵 詩情をかきたて 想いは碧空に到るのだ
李白(701-762)(唐)奔放華麗な盛唐の大詩人。 静夜思 山中与幽人対酌
牀前 看月光 牀前に 月光を看る 疑是 地上霜 疑うらくは 地上の霜かと 挙頭 望山月 頭を挙げて 山月を望み 低頭 思故郷 頭を低くして 故郷を思う 山中与幽人対酌 両人対酌 山花開 両人対酌 山花開く 一杯一杯 復一杯 一杯一杯 また一杯 我酔欲眠 卿旦去 私は酔つて眠い 君しばらく去れ 明朝有意 抱琴来 明朝意あれば 琴を抱いて来れ
李商隠(812-858)(晩唐)同時代の杜牧と並び称される。夕陽の名詩。 楽遊原
向晩 意不適 夕に向かい 心楽しまず 駆車 登古原 車を駆って 古原に登る 夕陽 無限好 夕陽は無限に 美しく 只是 黄昏 したすら 黄昏に染まる
柳宗元(773-819)(中唐)唐宋八家の一人。 江雪
千山 鳥飛絶 千の山に 鳥の飛ぶ影絶え 万径 人蹤滅 万の路に 人の跡もない 孤舟 蓑笠翁 孤舟に 蓑笠の老翁 独釣 寒江雪 ひとり 寒江の雪中に釣する
韓愈(768-824)(中唐)李(白)杜(甫)韓(愈)白(居易)と称せられる。 左遷至蘭関示姪孫湘 左遷されて蘭関に至り兄孫に示す
一封朝奏 九重天 朝に一書を 天子に奉じ 夕貶潮州 路八千 夕べに 八千里潮州に左遷 欲為聖明 除弊事 天子のため 弊事を除こうと 肯将衰朽 惜残年 衰えたわが身を 惜しむことがあろうか 雲横秦嶺 家何在 雲は秦嶺に横たわり 我家何処にかある 雪擁蘭関 馬不前 雪は蘭関を擁して 馬進まず 知汝遠来 応有意 君の遠来を知る 応に意あらむ 好収吾骨 瘴江辺 よしわが骨を 瘴江のほとりに収めよ
杜甫(712-770)(唐)詩的小宇宙に自然と詩人の感覚を凝縮。 絶句 江碧鳥愈白 江はみどりに 鳥はいよいよ白い 山青花欲然 山は青く 花は咲こうとする 今春看又過 今春もまた 眼の前に過ぎる 何日是帰年 いつの日か 故郷に帰れよう
漢武帝(前156-前87)(前漢七代皇帝) 今もよく知られる名句「歓楽極兮 哀情多 」。 秋風辞 秋風の詩 秋風起兮 白雲飛 秋風起こり 白雲飛ぶ 草木黄落兮 雁南帰 草木黄落し 雁南に帰る 蘭有秀兮 菊有芳 蘭花咲き 菊香る 懐佳人兮 不能忘 佳人の想い 忘れがたし 汎楼船兮 済汾河 楼船を浮かべ 汾河をわたる 横中流兮 揚素波 中流を横切り 白波をあげ 簫鼓鳴兮 発棹歌 簫鼓を鳴らし 舟歌を唄う 歓楽極兮 哀情多 歓楽極まって 哀感深し 少壮幾時兮 奈老何 少壮幾時ぞ 老いを奈何せん
王之渙(768-742)(盛唐)辺境の風光をうたう。
涼州詩 黄河遠上 白雲間 黄河を遠く 白雲の間に上る 一片孤城 万仞山 一片の孤城 万仞の山にあり 羌笛何須 怨揚柳 羌笛何ぞ 惜別曲を奏でる 春光不度 玉門関 春の光 玉門関を越えず
王維(699-759)(唐)送別の名詩として名高い。
送元二使安西 元二の安西に使いするを送る
渭城朝雨 邑軽塵 渭城の朝雨は 軽塵をうるおし 客舎青青 柳色新 旅館の柳は 青々と新鮮だ 勧君更尽 一杯酒 君に勧める もう一杯の酒 西出陽関 無故人 西に陽関を出れば 知る人もない
高適 (702-765)(盛唐)除夜を歌ったあまたの詩のうち、屈指の作品。
除夜作 旅館寒灯 独不眠 旅館寒灯の下 独り眠れない 客心何事 転凄然 旅の心なぜか 寂しさつのる 故郷今夜 思千里 故郷の人今夜 思い千里 霜鬢明朝 又一年 白髪の我明朝 また一年老う
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