言葉 読書余滴 2010年4月1日 戸張 道也 原文対照現代語訳道元全集全十七巻 第一巻・水野弥穂子訳註・春秋社 紀野一義・(1)「般若心教」を読む・講談社 (2)「禅」現代に生きるもの NHKブックス (3)「ある禅者の夜話 正法眼蔵隋聞記」 筑摩書房 (1)摩訶(大)般若(真実智)波羅密(の完成){瞑想} 正法眼蔵第二巻 この巻、天福元年(1233)に示されたものは般若心教を中心としたものと思われる。その後、興福寺を離れ、北越に行かれ、吉峰寺で冬を越された寛元二年(1244)三月二十一日に、現在のような形に稿を定められたと思われる。その間十一年の歳月を経ている(水野弥穂子註) 「観自在菩薩」(仏道者・自己)の、「行深般若波羅蜜多(知恵の完成)時」は、渾身(身体全体)の「照見五蘊皆空」(空:全現象は相関性のなかにあり、実態や性質としてとらえられない)なり。五蘊(身心を形成する五つの構成要素)は色(形あるもの)受想行識(情報を受け入れ、それを想い、想いを深め、判断する心の働き)」なり。 五枚の般若なり。(五蘊は色受想行識の順序で考えられ一括して論ぜられる)照見これ般若なり。 この宗旨の開演現成するにいわく、「色即是空」なり。「空即是色」なり。「色是色」なり、「空即空」なり。百草(眼界乃至意識界すべて仏法)なり、万象(宇宙のあらゆる事象)なり。 般若波羅密(知恵の完成)十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり。眼・耳・鼻・舌・身・意)(六根)色・声・香・味・触・法(六境)、および、眼・耳・舌識・意識(六識)等なり。 また四枚の般若あり。苦(三界は皆苦)、集(苦は煩悩と善悪諸業の集まり)、滅(煩悩と善悪の因を滅すれば涅槃)道(滅に至る修行)なり。また六枚の般若あり、布施(慈善)浄戒(仏道に適った行為)安忍(忍耐)精進(励み怠らない)静慮(心の静と統一)般若(真智)なり。 また一枚の般若波羅密(知恵の完成)而今現成せり、阿耨多羅三貌三菩提(この上ない完全なさとり)なり。また般若波羅密が三枚あり。過去・現在・未来なり。(現在は無限の過去と直通し、無限の未来と続く) また般若が六枚あり。 地(遍く堅固な性質)水(物質に偏在しない湿潤な性質)火(あらゆるものを成熟させる煖性質)風(遍く動き転ずる性質)空(現象は相関性のなかにあり実態や性質としてとらえられない)識(認識作用)なり。 (万有生成の元素) また四枚の般若、よのつねにおこなわれる。行・住・坐・臥(日常起居動作・坐禅)なり。 しるべし、受持読誦、如理思惟、すなはち守護般若なり。「欲守護」は受持読誦等なり。 先師古仏(天童如浄禅師)云、 渾身似口掛虚空 風鈴は全身を口にして虚空に掛かっている 不問東西南北風 東西南北の風を問わず 一等為他談般若 常に他のために般若を語る 滴丁東了滴丁東 風鈴の音色 これ仏祖嫡々の談般若なり。渾他般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり。 しかあればすなはち、仏薄伽梵(仏世尊)は般若波羅密多なり、般若波羅密多は「是諸法」(五蘊十八界十二処)なり。この諸法は空相(相:姿)なり、「不生不滅」なり、「不垢不浄、不増不減」なり。この般若波羅密多の現成せるは仏薄伽梵の現成せるなり。(仏世尊に)問取すべし、参取(修行して身につける)すべし。(知恵の完成である是諸法を)供養礼啓する、これ仏薄伽梵に奉観承事するなり。(その人は) 奉観承事の仏薄伽梵なり。 天福元年(1233)、夏安居(安居:陰暦4月15日から7月15日までの3月間、寺院に籠って修行すること)日、在観音導利院示衆 寛元二年(1244)甲辰春三月二十一日、侍越宇吉峰精舎侍司書之 懐弉 (2)紀野一義・「般若心経」を読む・講談社等より、仏教の言葉 般若 ブラジュニャーの音訳。真実智、根本智、人間の分析的な知恵とは違う。 分別智、人間の分析的な知恵。 般若と識 般若は修めなければならぬ。識は遍知しなければならぬ。「有名大教」 花を見て、花を見ず 大拙 自分のいのちと、花のいのちとがひとつに溶け合った 世界で花を見る。眼前の花のいのちは自分のいのち。「主客未分」 波羅蜜多 1.パーラミターの音訳。パーラム(彼岸に)+イタ(至れる) 2.パーラミ(彼岸に至れる)+ター(状態)、完成に到達せること 般若波羅蜜多を「知恵の完成」と訳す。 観自在 アヴァローキテシュバァラを、「観」(アヴァローキタ)+「自在」 (イーシュヴァラ)の合成語と見る。「観自在」と訳出し知恵を強調。 観 勧:人から勧められる。勧めることが絶対に重要。歓:心の中に映らないと 歓びを表面に出すことができない。観:心のなかに感ずること。 勧められ、歓びを感じ、心として観を支える。 菩薩 ボーディサッタ(菩薩)悟りの真理を携え、人々と共歓同苦し、衆生救済に努める存在 声聞:聖者の教えを信受した者。縁覚:天地の理法を自ら会得した者。 道路不同、会見無期 違った道を行ったのでは永久に会うことはない。菩薩に会お うとする者は菩薩の道を行かなくてはならない。鈴を鳴らして欲界に沈み こまぬよう戒め、ただ一人行かなくてはならない。(遍路) 真実 「もはやそれ以上何者にも還元され得ない一つの本源的な事象」「沈黙」 「愛」「真心」「死」(マックス・ピカート)。死の重さで計られるようなもの が真実である。「さまよえるオランダ人」 般若波羅蜜多 「般若波羅蜜多」とは、ずばり瞑想を意味しているのだ」パグワン。大悟した禅者は、師のもとへ赴いて「見解」を呈するが、それはおおむね詩のごときものである。大悟の非体験性、非論理性がよく現れている。それが「さとり」である。そういうものが「瞑想」であり、そういうものが「深般若波羅蜜多」であり、そういうものが「真実」である。真実というものは突如としてくる。一瞬のうちにやってきて、私とひとつになってしまう。その一瞬は「今」というものだろう。一瞬一瞬に永遠を感じ無限を感じるのだ。 行時 行を行じつつある時に(チャリヤーム・チャラマーノ)「行行」行を行ず る。( 慈雲尊者) 色空 人間を構成している心も体もまったくあてにならない。そのあてにならな い、空しい、雲をつかむようなものという性格の上にこの人生が成り立っ ていることを、かたときも忘れてはならない。 色不異空 空不異色 しかし、この私たちをして生かしたり、語らしめたりしている因縁がちゃんとあることを否定できない。だからそれを認めなければならない。 色即是空 空即是色 人の命はまことにはかないものである。だからこそ、今生きているということが、たとえようもなくすばらしいことだと感じとられるのではないか。その一日、その一瞬の中に永遠の生命を感じとったりするのではないか。 空 「空」は仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。空中しばらく我れあり。 不生不滅 「不生の仏心ひとつ 」(盤珪) 見ようの、聞こうのと、前方より覚悟なく、見たり聞いたりいたすが不生でござる。見よう、聞こうと存ずる気の生じませぬが、これ不生でござる。不生なれば不滅でござる、不滅とは滅せぬでござるなれば、生じざる物、滅すべきようはござらぬ。ここが面々の仏心そなわりたる所でござる。 三界 三界とは唯、一心である。一心のほかに別のものはない。心といい、仏といい、衆生というも、この三つは無差別である。(道元 三界唯一心) 慾界(衆生) 色界 (仏) 無色界 (心)(三界) 無明 仏のおしへは無明の奥深くを照らす光である。それゆえ、無明のやみのあるところが、ほとけのおしへのあるところである。無明のやみは無明なるがゆえに仏のおしへを知らぬのである。無明であるがゆえに、切実に仏の教を必要としているのである。仏のおしへによって無明が無明としてしられるのである。(石見護) まず有縁を度すべきなり ご縁のある人を幸せにすること。(親鸞) またみんと思ひし時の秋だにも今宵の月に寝られらやはする (道元禅師遣歌) (3)般若波羅蜜多心経(玄奘が生きてゆく支えとした。) 唐三藏法師玄奘譯 觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。 不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。亦無老無色聲香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。 亦無老死尽。無苦集滅道。無知亦無得。以無所得故。菩提薩垂。依般若波羅蜜多故。心無罫礙。無罫礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究境涅槃。三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿褥多羅三獏三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多咒。 即説咒曰 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧莎訶 般若波羅蜜多心経 「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。」
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