読書余滴 一言でも可言あれば良し 戸張道也 2008/03/07
「 老人介護じいさん・ばあさんの愛し方」 「 三好春樹 新潮文庫」
ユニーク本で、現場からの視点の大事さを認識させてくれます。ご一読をお勧めします。 以下言葉の一部です。
まえがき 介護現場の不可思議な法則
ヘルパーや寮母とうまくやっていける度合いは、体の重さに反比例し、人柄に比例する。 あなたは自分の老いと付き合えるだろうか。老人が嫌いだという人は難しかろう。それは 自分の未来が嫌いだということだから。
第1章 老いとの出会いは偶然だった。
慰問団を気使遣う人、遠慮しない人 年をとると個性が煮つまる 人間が丸くなるどころか、人格が完成するどころか、年をとると個性が煮つまるのだ。真 面目な人はますます真面目に、頑固はますます頑固に、そしてスケベはますますスケベ に。 生きたいように生きる、それだけだよ、と。 ところが老人相手の仕事では効率主義が適用しないのだ。適用しないどころか、効率よく 仕事するほど効率が悪くなるのだ。 たしかに、介護も看護もきつくて、臭くて、汚い。だが、大変なのはそのせいではない。こ の仕事のほんとうの大変さは、そのきつくて、臭くて、汚い仕事をとおして、老人をダメに する力も、逆に生き返らす力も持っているということなのである。 臭いのは三日で慣れる 老人の心を開かせるもの まごころなんてものは通じない。本当のまごころが相手に通じるということは、とてもきれ い ごとじゃないんだ、と。 自分の”まごころ”で相手を変えてやろうという、その”意図”そのものが、老人の反発を呼 ぶのである。 教科書に書いてあることや、研修会で人格者の倫理的お説教が通用しない世界が目の 前にあった。
第二章 介護の発見は必然だった
何となく元気がない病院からの老人 ほぼ全員がおむつを使用しており、尿意はもちろん、オムツが尿で濡れているかどうかと いう皮膚感覚すら喪失している状態であった。 この病院では排泄の方法は二者択一である。 自分で歩いてトイレにいくか、それともオムツか、である。せめてポータブルトイレでも、ベ ットサイドに置かせてもらえばと思うのだが、看護士長によると「不潔だからダメ」なのだそ うだ。しかし、オムツをあてるほうが老人にとってはよっぽど不潔だと思うのだが。はたし て 清潔、不潔の物差しは誰のものなのだろうか。 病院では私たちシロウトの治せない病気を治し、命を救うことはできる。だが命を救った だ けではそれは”生きもの”にすぎないではないか。その"生きもの”が”人間”になること、 つ まり、目が輝いてきて自らの体の主体になることについては、病院という場は実は無力 で はないのか。いや、むしろそれを妨げているのではないか。 介護は日常的体験そのものの中にある。 下からは世の中がよく見える 老人の無念を忘れない ”偏見”を持ち続けることこそ、手を縛られてダメにされていった老人の無念を忘れないこと だと思うからである。
以下 第3章専門知識と介護現場をつなぐ、第4章在宅の老人はもっとたくましいと続きます。
付 哲学者鷲田清一氏の「ギャグの向こうに」
老人介護という「ウンコ、オシッコの世界」から医療を見てきたひとりとして、能力や器質 の 障害というよりも、(関係)が問題なのだという視点から「近代が、老いと障害という 自然に 適応できるための方法論」を編み上げるということである。 何もできなくても、何の役に立たなくても、何の意味もなくても、そにいるだけでいいと、た がいにその存在を肯定できる、そのような関係が「老人介護」の現場には賭けられて いる と、三好さんは本気で考えている。
介護現場のギャグ 「そりゃ、老人には”しあわせの里”でも、家族には”シワ寄せの里”じゃないですか」
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